映画は「センセイは、漢字の先生やひらがなのせんせいじゃなくて、カタカナのセンセイ」という主人公ツキコのナレーションから始まる。
実はこの時点で、食べ物の一口目に砂を噛んでしまったような不穏さがあったのだが、私は安易にもそれを忘れてワクワクしてしまった。
それは序盤のキノコ採りに行こうというシーンだ。
普段通いなれている居酒屋の主人が滅法車の運転が下手だったり、センセイの15年前に家出したという奥さんがハイキング好きで、という下りだ。
みんなでキノコ汁を楽しんでいるところで、その奥さんがハイキング先でワライダケを食べて騒動があったという話をセンセイがし出すという、悪気がないのがむしろ悪いというシーンで、このまま退職した”先生“と大人になった“生徒”と、“カンペキなオトナじゃない”周囲の、のんびりした話なのかと期待してしまったのだが。
この数分後、センセイに奥さんがいたのだと、何度も口にする酔っ払った元生徒、ツキコのくだの巻き方でヒビが入った。(最初の楔は最初のナレーションで入っている。)
そんな恥ずかしい絡み方をしたツキコはセンセイに会わせる顔がなく、一人酒を買おうとしているところで飲み屋をしている友人と久しぶりの再会。ツキコとこの友人のほかにもう一人学生時代からの友人がいるらしい。3人で年末の寄せ鍋パーティーをする。
そこで出てくる学生時代の話題に、生徒から人気があった美術教師とセンセイが当時怪しかった事があがると、思わず考え込んでしまうツキコ。
年始に実家に帰って母と湯豆腐を囲んだり、仕事に行ったりするうちに、職場近くの金物店で並ぶ新品の包丁にセンセイを思い出す。そして、買ったのはおろし金。
久しぶりに居酒屋によるとセンセイがいた。渡すに渡せず、帰り道の別れ際にセンセイのコートに覆い1つないおろし金を突っ込んで、ダッシュで帰る暴挙。
この辺りまでは、「あらら、小学生みたいなことを。」とか、「おろし金を抜き身でコートに入れるなよ。手をすりおろすぞ、センセイが。」等とほほえましかった。
件の花見のシーンも、センセイに来た花見の誘いのハガキの差出人が例の美術教師だったのを面白くなく感じていたり、センセイと美術教師が花見の席でツキコを呼び寄せようとしても無視していたりして、まだ初々しい具合であった。
学校の先生たちは、花見の席では自分の体調を気にしたり、普段からかわからないがオネエキャラになっていたりにぎやかで、20年前は学生だったツキコの友人たちも子供の面倒を見たり、へべれけになったりと“カンペキじゃないオトナ”の姿を描かれていた。
ここから転調したように思える。
ツキコが学生時代にちょっとデートしただけの同級生が粉をかけてくる。同級生のエスコートにのって花見を抜けて、洒落たバーへ。男として、ツキコを女と見る視線と物腰に、ツキコは大人の女の嬉しさと臆病さを隠した仕草で応対する。
同級生の誘いをはねて帰るツキコと同級生のシーンは実に大人だった。
その後、彼が下心も込みであることを告げながら旅行の提案をするが、ツキコは答えを保留にする。そしてセンセイのもとで泥酔し、雷に怯えてセンセイに抱っこしてもらったときに、自分の案であるかのように同級生が言った旅行プランをセンセイに言ったのだった。
この辺りで、見ているのがしんどくなった。
雷に怯えるアラフォーの怖がり方が、幼稚園児のように「おへそとられちゃう」ってなんじゃいな。
「雷はただの放電現象だよ」というセンセイの白々しさと「怖かったらおいで。抱っこしてあげよう」の親切心よりもスケベ心の臭いしかしないダサい姿。抱っこしている時に頬っぺたが赤くなっていたのは、役者さんも人間だから重かろう、嬉しかろう(?)で仕方がない。にしても、もうちょっとやりようがあるシーンだろうに!
なんで理系なことを言ってるんだよ。雷にまつわる国語的な話をして気をまぎらわせるとか、あるだろうが!
今までのちょっとした独占欲とかうっすらとしか描写してなかった分、性的な部分の一端をややゲスっぽい形で垣間見たのががっかりした。
ツキコの旅行プラン提案も、同級生の旅行目的が性的であると明示されてたわけだから、当然同じ目的だろう。
誰にでも恋はしていいし、恋が来たら大概は性欲も絡むから、いつかはそうなるのだろうと思うけれど、当初の淡白なキノコ狩りのシーンからこんなに肉欲ありありですとされるのは私にとってはつらい誤算だ。あ、キノコ狩りって暗喩?
旅行先で、仲居さんが二人をいぶかしげに見ながら旅館内を案内している。そりゃそうだ。
二人同室でなく、一室あいだに挟んだ部屋をとっているのだから、仲居さんも勘繰りをするだろう。
もっとも、もしここで同室にしていたら私は見るのをやめていた。
それはさておき、島を小一時間散歩するといわれて下駄をはいてくるツキコ。その歩きづらそうなツキコに我関せずでスタスタ歩くセンセイ。行き先は、家出した奥さんの墓でした。
「わたしはまだ妻のことを気にしているんでしょうか」というセンセイにツキコは憤慨して先に宿に戻る。晩御飯と酒で仲直り。タコのしゃぶしゃぶでうんちくを語るセンセイに仲居さんが曖昧な笑みでうなずくのがいい味だった。
その夜、へべれけになったセンセイがツキコに言う。
「風呂に入って、酔いを醒ましてからも夜が長いようだったら私の部屋においで」
期待するなと自分に言い聞かせながら期待するツキコ。
って、ズルい! センセイ、ズルい! 部屋が別れてるのは、「私が誘ったんじゃなくて自分の意思で来たんだよね?」っていう口実作りかいな!
自分の布団で自分でちょっと乳を触ってみるツキコがモノローグで、「自分で触っても面白くない。たぶんセンセイにそういう目的で触ってもらって面白くないだろう」と言ってたのに、センセイの部屋に行く。しかも声のかけ方が、介護人か何かのようだった結果、私の脳はツキコを介護人、センセイを色ボケがちょっと入っちゃったおじいちゃんと思うようになってしまった。
おじいちゃんはツキコを自分の布団に入れてツキコの胸をさわる。それだけでなにもせず寝ようとする。ツキコが「寝ちゃいますよー。いいんですかー。」と声をかけるもずっとツキコの頭から肩をなで続ける。終了。
ここでおっ始められても困るが!
お互いに性欲があるのをはっきりさせた今、当初のあっさりした関係のフリをされても気持ち悪いんだよ!
性欲があるのは悪いことじゃないが、あればどろどろしがちなものだと思う。
キノコ採りの浮世離れのほのぼのした雰囲気を気に入った私としては、この後半のイヤにリアルに近づけた中途半端なファンタジーが気色悪い。
ヤろうと思ったけどヤれなかった。
年齢や世間体や亡き妻のことなどいろいろあるに違いないが、その逡巡が映画の最後で私にかなりの不快感をもたらすことになる。
今書きながら思うが、この旅行辺りから主人公がセンセイに代わっているのかもしれない。
もうツキコはセンセイと恋仲になることしか考えていない。逆にセンセイは自分の寿命を指折り数えて、告白していいものかどうか悩んでいる。
結果、告白して恋仲になり、◯ックスが出来ないかもしれないけど出来そうなときにヤらせてくれと頼み、実行した。
飲み屋で再会して2年、恋仲になって3年でセンセイが逝った。
葬式で、センセイの息子がツキコに生前の礼と遺言通りにセンセイが常に持ち歩いていた黒いくたびれた鞄を渡した。
誰もいない部屋でツキコがセンセイの鞄を開けるも、なにもない。
ツキコの号泣が響く。
いやいやいや。待って。ちょっと待って。
センセイの生前にツキコはセンセイの息子にあったことがなかったらしく挨拶されておる。
てことはツキコは後妻にならず、ずっと◯ックスありの恋人をしてたんだな?
お金で囲われた愛人ですらなく、老後の余暇をデートしてくれる若い恋人だ。
自分の遺した鞄に大声をあげて泣いてくれるほど自分を愛してくれた恋人に、それ以外なにも残さずに死んだのか?
出会ったときが37歳、死んだときが42歳というツキコ、もしかしたら誰かと結婚して子供が作れたかもしれないという可能性が0ではなかったツキコのことをセンセイはどう思っていたのだろうか。
センセイが逡巡したのは、私が受け取れたことに関して言えば上記の通りだ。年齢や世間体、亡き妻のことである。これはセンセイ個人のことだ。
ツキコの将来についてはなにも考えていない。
もちろん、劇中に描写されていないだけなのかもしれないが、「あなたと過ごせて、幸せな晩年でした」ぐらいの手紙の1つさえも残していないこのセンセイは恐ろしくズルい男だと感じる。
ツキコは号泣するほど好きだったのだろうか。
ただ好きなだけだったら、鞄の中の真っ暗な空間だけで終わっていたのではないかと思う。
真っ暗な空間から、胎内を思わせるベージュピンクの光のトンネルから聞こえる赤ん坊の泣き声のようなものが、号泣するツキコの声だと気がついた時には背筋が凍った。
愛や思い出で満たされた暗闇ではなくて、ツキコの心の虚ろだと感じたからだ。
愛のある時間は確かにあっただろうが、ツキコはこのセンセイに空けられた虚ろな心の穴も持って生きなくてはならない。
なぜ、虚ろだと言えるのか。
映画の前半によくあった外の人たちが後半にはほぼ不在だからだ。
旅館の仲居さんの次に出てきた二人以外の人間は、居酒屋の主人、ツキコの友達だ。主人は二人をくっつけるためのチョイ役だからおいておくが友達は違う。ツキコはセンセイに甘えて腕を絡めて街を行き、友達に気づかない。
二人の世界の完成を示す役だ。
そして、センセイは自分の息子にさえツキコを紹介しない。
他人がいない世界で3年も経ってしまった。
職場の人たちは劇中にさえ一回も出ていない。
疎遠ではないかもしれないが、友人たちはツキコをどう扱うのだろうか。
ツキコは既に劇中で、センセイがいないと人生が虚しいと、友人たちと遊んだ直後に思ってしまっているのだ。
ツキコはなにも入っていないセンセイの鞄を受け取り、気がついてしまったのではないか。それがあの号泣だと思った。
それにしても数字が絶妙だ。
ツキコは38歳。
20代では、若すぎて遺産目当てに見える。
30代前半だったら、まだ結婚を諦めていない女のイメージがある。
40代50代では、高校生の初々しさから大分離れてしまうし、歳の差の夢がない。
だから37-8歳の高校を卒業してキリよく20年の年齢なのだ。
再会して2年、付き合って3年でセンセイが逝く。
センセイはまだ73ぐらいのはずだが、恋の寿命は3ヵ月、愛の寿命は3年、情は続く限りだそうな。
情に入る前の、愛の期間で逝ったんだねー。
良かったね。
そして、私が最初に噛んだ砂利の正体は、私がカタカナのセンセイに感じるイメージだった。
これには2つある。
1つは、あだ名だ。いろんなことを知ってるからハカセとか呼ぶように。
2つめは、愛情を込めた呼び方。媚びたような、純粋に尊敬している以上のなにかが中にある。
作品の受け止め方は人それぞれだから、絶賛する人も居るだろう。
あいにく、ちょっとしたネットサーフィンでは同じように感じた人は見られなかった。
だから、絶賛できない私の主観をここに書いておく。
ああ、怖い映画だった。
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